アーケード・アンチヘイター episode-64 (期間限
死ぬという言葉は、現代では気軽に使われ過ぎていると思う。
声を失った時――私は今までの私が全て消えてしまったと感じた。
私が一生懸命に続けていた努力も、積み重ねて来た関係も、白紙に戻ってしまったのだと感じた。
以前できたことができなくなる。
以前持っていたものを亡くしてしまう。
それはとても。想像以上に――辛いものだ。
1週かけた作品を台無しにしてしまった、どころではない。
自分が積み重ねて来た全てを台無しにされてしまったのだ。あの感覚は、今もまだ覚えている。
言われてみれば――いや、実際に言われた事なのだが――それをした母親を恨まなかったことは、周りの人からも奇妙に映っていたように思う。
だけど、私は過去を全て奪われても、未来までは奪われてはいなかった。
特区に放り込まて孤独な日々を過ごした後に、何物にも代えがたい出会いができた。
最初は嫉妬に近い感情から始まったものだったけど、無利君との出会いは、今となっては掛け替えのないものを沢山与えてくれた。
もう二度と失いたくない。
これから先も無利君と、みんなと一緒に笑っていたい。
それだけが私の願いで、大会を優勝してまで欲した願いだった。
幾つもの願いを踏み越えてでも、守りたい切望だった。
――死んでしまったら、それは叶わない。
皆に料理を作る事も。
無利君の隣に――居続ける事も。
身体から自分がずり落ちる感覚と、煮えたぎるような耐えがたい痛みを感じた瞬間。
しにたくない。しにたくない。しにたくない。
同じ言葉だけを、脳内で何度も繰り返す。
手を伸ばそうとしても動かせない。足で歩こうとしても何も無い。
声だけでなく、私は全てを失ってしまったのだと気付いた時 声が響く。
そして次の瞬間、私の視界は暗転した。
無利君も。
蛇内君も、鞠ちゃんも。
みんなと一緒に昼食を食べたり、対戦で競い合ったり。
ずっと変わらぬ関係が続いたらいいと、私は望み、それだけを願って優勝した。
外では得られなかった大切な場所。
嫉妬に始まり、尊敬へと繋がった――大切な人。
その人と、みんなと一緒にいつまでも居たい。それだけが、私の心からの願いだった。
――それは、そんなに無茶な願いだっただろうか。
その問いに答える声が、染み込むように私の脳内に響いてくる。
「無茶だよ。無茶に決まってるじゃないか。人間関係なんて希薄なものを永続させるなんて、奇跡にでも頼らなければ不可能だよ」
――そんなの、やってみなければわからない。
「ならば何故特区に頼ったんだい? やってみなければわからないと言うのなら、自分たちの力で何処まで持続できれば試してみればいいじゃないか」
――一部の生徒たちが、特区に消されているのは?
「特区運営は慈善団体ではないよ。能力向上が見込めない者、治安を乱すだけの百害あって一利の無い者――そんな人間に座らせる椅子なんて、あるわけがない。でも安心していいよ。君はそれには該当していない」
――でも、私、は。
「今回のは不幸な事故だった。彼は『造志機構』との相性がある意味で良過ぎたんだろうね」
――造志、機構?
「ここの人間が何故記憶障害を患っているか、知っているかい?」
私は首を振ろうとしたが、もはや私の身体にそんな機能が備わっていない事を思い出す。
何故目の前の男と会話できているのか。それすらもわからない。
「外では日に日に自殺率が伸び続けている。医療の発達により延命が容易になっているのにも関わらず、その勢いは留まる事を知らない。だが、特区では減少傾向にある。いらない人間と言われ、人との繋がりも何も無い人間の集合体のはずの特区が、だ」
確かにおかしい。本来なら外の自殺率が低く、特区での自殺率が高くなるはずだ。
「それは本来機能していた防衛機構が働いていないからさ。その防衛機構を薬物等で強化したものこそ、特区で現在蔓延している……」
「――記憶、障害」
その通り!と私の正解を称えると、何処か遠くを見るような瞳を浮かべ、目の前の男は呟く。
「そう、人間は自死を防ぐ為に――自身の脳を殺すのさ」
ゾワリ、と。芯から寒気がせり上がる。
言葉の真偽はともかく、その不気味な響きは――私が恐怖するのには十分だった。
「人間の身体――いや、生き物の身体というものはね。皆一つの目的を持っているのさ」
――目、的?
「呼んで字の如く――生きる事さ」
いきること
私は辛うじて言葉だけを反芻する。
「人が痛みを感じるのは何故か? それは痛覚があるからだ。ならば何故痛覚があるのか? 痛みを感じなければ自身の危機、命の危機に気付けないからだ。空腹を覚えるのは、栄養を摂取しないと死んでしまうからだ。 それらの根幹は全て『生きる事』に集約している。 ……人類は世界で唯一自殺する生き物だ、という言葉を知っているかい?」
……。
「厳密にはカバキコマチグモのような例外がいるのだけれど、あれは自殺とは本質が根本的に違う。子供を生かす為に自身の肉体を食らわせているのは非生産的な自殺等では決してなく、例に洩れず『生かす』為の行為そのものだよ。究極のサクリファイスではあるけどね――後は『レミングの集団自殺』も有名だが、あれは実際には無かったとの説が濃厚だ。とはいえ、まだ見ぬ例外に配慮するのであれば『世界で一番自殺で死ぬ数が多い生き物』とでも言っておこうか。悪魔の証明を求められるのも癪だからね」
――自殺で死ぬ数が、いちばん。
「そう、しかも種族的な特性ではなく――自らの意思で死を選ぶ。だけど人間の身体はその『自死』に対しても対策を打ち出した。それが先程言った 『記憶障害』 であり、時に同じ理由で脳は 『幻覚』 をも作り出す」
幻覚。
実在しないはずのものが見えてしまったり、聞こえてしまうこと。
――幻覚が、防衛機構。
「それらの脳の防衛機構を私は『生存機構』と呼んでいる。そして僕は世界で唯一、それを扱える『魔法使い』なんだよ」
魔法使い。
余りに突拍子もない非現実的なフレーズだったが、不思議と私は理解してしまった。
この人は冗談も、嘘も言っていないのだと。
そんな私を知ってか知らずか彼は笑いながら
「魔法と言っても大したことじゃないさ。ゲームのように何も無い所から火とか雷を呼び出せるわけじゃない。僕ができるのは人が生きる為の機能である『生存機構』を応用する事だけさ」
彼は後方にある一つのモニターを指差す。
そこには私と蛇内君との戦いがリプレイされていて、試合後半≪ヴェリク・パラディン≫が無数の光刃を弾いている場面が映し出されている。弾かれた光の刃は多くは地表はステージの外に弾かれ、その内の一つが。
私の、首元に。
「例えば 『生存機構』 を実際の力として発現させる装置である『造志機構』を作ったり――ね」
単なるゲームの映像だったはずの光刃は。
まるで実在する刃のように、私の首を斬り落としていた。
声にならない叫びを上げる。
辺りに撒き散る鮮血と肉塊は紛れなく自分のモノであったはずのもので、その直後に蛇内君の絶叫が聞こえ、ゲーム内のSEが不気味に成り響く。
まるで悪夢を見ているようだ。目を逸らしたくなるが、何故か逸らす事ができない。
その一部始終から視線が釘付けになり、脳に罅が入っていくような錯覚を覚える。
「君は知らないかもしれないけど、彼には『幻覚』の症状が頻繁に出現していた。試合中の集中力、拮抗した実力と相まって『幻覚』を『造志機構』を通して発現させてしまったのは自明の理だったんだろうね。わかりやすく言えば、装置のリミッターを外した状態で彼がこの設備を使用すれば――実際の力として運用できるってことさ。実験は大成功だったね」
そん、な。
脳に亀裂が走るほどの衝撃と、蛇内君の慟哭が響く。
いや、確かに予兆はあったのだ。攻撃が装甲を掠めた時に感じた鋭さは、ダメージレベルの上昇と呼ぶには余りに異質な感覚だった。
つまり私は、いや。
『私達』がここに集められて、してきた事は――。
「特区は様々な表向きな理由で存在しているけど、根幹は『無償のエネルギーを抽出』できる点さ。様々な『生存機構』をクォーター・ヘルメットを通して生み出してくれるゲームは二重の意味で都合がいい。当然今回みたいな事はリミッターを付けて、二度と起こらないようにするけどね」
表向きには。
小さく笑いながら呟いたその言葉を、私は聞き逃さなかった。
そして思う。
無利君に伝えなくちゃいけない。
私は、もう彼の隣で笑う事はできないけれど。
それはとてもとても――本当に、泣いてしまいたくなるけれど。
この残酷な真実を知らないまま暮らしていたら。
いつかは、無利君も。
「伝えたいかい? この事実を。彼に」
考えを読まれている事に吐き気を催しながら、私は目線で頷く。
無利君に会うまで、もう泣いている場合じゃない。
今の自分がどんな状態だろうと、考える事ができて、こうして目の前の男と会話できるのも事実なのだから。
「君は強いね。そんな状態なのに――まだ僕に敵意を向けられるなんて」
「……」
「いいよ。僕だって君を殺したいわけじゃない。むしろより完璧になって欲しいとまで思ってるぐらいさ。道乃瀬無利君の願いも、まだ叶えてないしね」
――無利君の願い? 大会応募時に書かされたあの『願い』の事?
そう問いかけると、目の前の男は薄く笑みを浮かべる。
「そうか君は知らなかったんだね。彼が自分自身の――友人の安全を選ばずに求めた願いを」
目の前の男は私の耳元に口を近付け、小さく呟く。
私はそれを聞いた事で――思考が完全に固まってしまう。
「火とか雷を呼び出せるわけじゃないけど、僕は魔法使いだからね。医学でこなせない領域を飛び越す事くらいはなんとか、できるんだよ」
続く言葉も、よく聞き取れない。
ただ流れようとする涙を塞き止めるのに必死で、そちらに意識を向ける事ができない。
男はそれを知ってか知らずか、優しい口調で言う。
「直に届くよ。君の――新しいカラダが」
後方のモニターが切り替わる。
画面の奥には、炎が揺らめくように燃え盛っていた。