親が統合失調症になった
近況を書くのは本当に久しぶりだが、記すべきと思ったので書いていく。
母は以前にも精神病を患っており、しかしここ2~3年の経過は良好だった。
病気になる以前にも一切種類を増やそうとせず、挑戦しようとしなかった料理の開拓にも意欲的だったのは記憶にも新しい。むしろ以前より良くなっていると、この頃は強く感じていた。
ただ生涯において、母をまともな人間だと感じたことは少ない。
宗教を頑なに信じていて、それで心を守っているような人間だった。それによって傷付けられたことも一度や二度ではない。ただ間違いないのは、宗教を取り上げることは勿論。宗教無しで生きられるとは到底思えない人間だということ。
僕自身は宗教を信じることはなかったが、文字通り必要な人間はいる。
必要。必ず要する。無くてはならないもの。母にとって宗教とは、そういうものだと認識していた。だからそれを強く咎めることもしなかった。仮に奪ったところで、それを埋められるものが見当たらないからだ。
尊敬するところがあるとすれば、嘘を言おうとせず、嘘を嫌っていた性質だろう。母は処世術としての嘘をほぼ使わず生きてきた。言うのは簡単だが、それがどれだけ異常なことなのか。想像してもらえばわかると思う。もし思った事を全て話してしまう病気にかかってしまったら、僕は5秒で問題を起こし、社会に存在することはできないだろう。それでもなんとかなっていたのは、当人が他人を呪わず、裏を使わずとも他人に受け居られる人間性だったからだ。
だからだろうか。
母は友人と話す時も、思った事はなんでも言う人間だった。悪口を直接言うであるとか、そういう類のものではなく、凄いと思った事は凄いと言うのだ。それが自分のことであっても。
今日は〇時間も皆の為に祈った!
料理もちゃんと作った!
と、電話で友人に話し続ける。
良いことだな、と思う面もある。自分で自分の事を褒められるのは、なんであれ悪い事ではない。それは否定されることではないように思う。
ただ同時に危うさも感じていた。
友人に自分の自慢話をする。且つ良好な関係を築いて行くには、友人側が好意を持ってくれていることが大前提だ。甘えていると言い換えてもいい。余程信頼関係が無ければ、親しい友人でなければ成立しない。
……だが、結局電話相手が居なくなることはなかったので、友人に恵まれていたのだと僕は考えていた。だから、母は電話が何より好きだった。
そんな母がある日、電話を一切しなくなった。
といっても、気付くまでにはかなりの時間を要した。今思えば。気付いたら。いつの間にか。母は電話を一度もすることがなくなり、交友関係の一切を断ち切っていた。それからしばらくして、一人で笑い、大きな独り言を頻りに叫び、届いた郵便物も全て捨てるようになった。
統合失調症。それ以外に考えられない。
日を重ねるたびにトラブルは増えていく。騒音はもちろんだが、近所の方が管理している網を勝手にこちらの敷地に収納し、文句を言いにきた相手を精神病扱いした。後に事情を説明し、謝罪を受け入れてはもらえたが、これが続いたら悪感情を向けられても文句は言えないだろう。
薬を飲んでくれといっても、受け入れてはもらえない。
病院に行こうと伝えれば、怒り狂う。
人間と認識していた人が違うものに変わってしまう瞬間は、祖母や父親で経験していたつもりだったが、何度目であろうと慣れる事はなかった。
実害が出ている以上、入院しかない。身内がこのまま接していたら、いつか不幸な事故が起きる……そんな確信がある。先日母は、父に土下座を要求していた。父は反発し、当然諍いが起こる。
限界が来る前に行動に起こすべきだ。それはわかるし、別に悲しいことだとも思わない。
ただ一つ、強く思うことがあったのは
いつも誰かの為に祈っていた母が、祈りの内容を話したときのことだ。
祈りに意味があると思った事はない。宗教は母を救っていたかもしれないが、宗教によって傷付いたり、トラブルが起こったことも無数にある。僕本人にとっては実害の方が遥かに大きかったからだ。
だがそれでも、母は誰かの為に祈っていた。意味があるものかはともかく、多くの時間をその行動に裂いていた。
「お父さんは?」
「ちゃんと寝てるよ」
安否を確認しての発言と捉えて、そう返事をする。
「そうじゃなくて、ちゃんと死んだ?」
「……」
「実際にやると犯罪になっちゃうから、今祈りでね。消そうとしてるの」
さて、そう。何と返したのだったか。
思い返している今ですら、筆が止まる。わかっているのは、母が「別のもの」に変わってしまったという事実だけ。
……もしくは病気の今が本音で、本当は普段から消したいと思っていたのかもしれないが。可能性を考えると、余計に陰鬱になってくる。
ただ、そういった理由を全部取っ払って感想を述べるならば
誰かを殺す為に祈っていると伝えられて「なるほどな」と思った。
なるほどな。そう、納得の言葉だ。
親の唯一尊敬できる部分が、病気によって消えてなくなったことへの納得。納得。
入院で治るのであれば、今すぐにでも良い病院に入れるべきだろうが、恨まれることになることは想像に難しくない。恨まれてもいいが、ただただ心が疲れる。
今の自分は、何の為に生きているのだろう。
心が疲れた時に誰もが思うことかもしれないが、今正にそんな気分である。
生きる為には、取っ掛かりが必要だと思う。
アニメの為に生きたい!趣味が楽しいから生きたい! 理由はなんでもいい。
ただそれは取っ掛かりから引き摺り下ろそうとする力が強ければ強いほど、意味の無いものになっていく。
母はそれを感じることすらできなくなり
自分はそれを強く感じている。
そこまで考えて「なるほどな」と感じる。納得の言葉だ。現状への、納得の言葉。
久々に書いたことで考えがまとまったし、わかったことが一つ。
「割と平然としてたけど、改めて書いてみるとロクでもない状況だなこれ」
考えを整理しない方が、楽になれる時もある。
母の病気の本質も、もしかしたら似たものなのかもしれない。