シューティングラーヴェ(はてな)

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パンチが亡くなった

自力で段差を登れなくなった頃 散歩の途中で抱っこして帰ることが多くなった。

しがみつくのが上手いので、抱えるのに苦労はいらなかった。

だから想像してしまう。

もしこの力が、どんどんと弱くなっていったら

軽くなったはずなのに、重さを実感してしまったら

その感触に、自分は耐えれるのだろうかと。

 

思えば色んな人の死に目を超えてきた犬だった。

祖父は散歩中に突然死。

祖母は僕に後の世話を託し、足の切断に耐えれずに死んでしまった。

一番溺愛していた父は今施設にいて離れ離れ

母の統合失調症が最盛期の時は、家の中で唯一の癒しだった。

目が見えなくなってきても、肉を焼いてる時に足元に纏わりついてくる食い意地の強さは相変わらずで。苦笑いすることも多かった。

 

散歩の帰り、抱えた重さは変わらない。

きちんとしがみついて、転んだ拍子についた草のような何かを、セーターに沢山くっつける。

目が見えてないはずなのに、見えてるように振る舞うのが上手いので

思い込みの強い母が「この子の目は見えてる!」と言って聞かなかった。

心が弱い母なので、そう思っていられる方が負担は少なったのだと思う。

人間でいうと100歳を超える かなりの高齢であっても

体が少しずつ不自由になっても、今まで通り振る舞うのが上手かった。

 

日曜の朝

グッタリとしていて、とても散歩ができる状態ではなかった。

布団の中で粗相をして、ウンチはリビングでしてしまうのが精一杯。

もうオムツ生活になるかもしれない。そんな風に思って、通販で色々と注文して

病院に行く直前に、抱きかかえて外に連れ出す。

懸命にしがみついていつもの散歩コースにつくと、負担の少ないようゆっくりと降ろす

ぺしゃりと、座る事すらできずに倒れてしまう力の無さを感じた。

慌ててもう一度抱き起こして、車で病院に連れて行く。

病院の待ち時間が終わると懸命にしがみついて、いつものように抱え診察室に。

 

「……亡くなってますね」

 

そう言われた時の感情は、未だに言語化できない。

え、そうなの?とか

その発想はなかった。とか

不謹慎で場違いな驚きが近かったかもしれない。

 

病院に行く直前と、診察室に向かう前の抱っこの感触。

両方とも、いつものようにしがみついてるとばかり感じていた。

でも後者の時点で、恐らく既に亡くなっていて。

だとしたら後者に感じた感触は、一体なんだったのか。

 

母と同じく、思い込みだったんだろうか。

いつもしがみついてると思っていたけど、本当はもう力なんかなくなっていて。

それを認めたくないから、しがみついてると勘違いしていたんだろうか。

亡くなった後の感覚すら、誤魔化せるほどに。

 

そうかもしれない。ただ「でも」とも思う。

最後のトイレを、寝込んでいた布団の中ではなくリビングまで歩いてした。

弱っていても食い意地が張っていたし

目が見えるように振る舞うのが上手かった。

そういう、優しい奴だったのだと、僕は思う。

 

いつも想像していた。

もしこの力が、どんどんと弱くなっていったら

軽くなったはずなのに、重さを実感してしまったら

その感触に、自分は耐えれるのだろうかと。

 

その「耐えれないはずの実感」が一切ないまま、パンチは亡くなった。

優しい奴だったから

きっと最後の瞬間まで、ずっと、そのために、生きていてくれたのだと。

 

……そういう感情を忘れないために、今こうして感じたことをそのまま書いている。

言えずに逝ってしまったけど、今まで本当にありがとう。

ありがとう。