シューティングラーヴェ(はてな)

シューティングラーヴェの移行先

僕は大きな木

 僕は大きな木
 立っているだけで、降り注ぐ雨から誰かを守れる。
 僕は大きな木
 立っているだけで、生きていることになるらしい。

 今日は雨だ。
 普段は人通りの少ないこの道は、雨が降っている時だけ人通りが多くなる。
 それは、僕がいるからだ。
 とても大きい木である僕の下を通れば、みんな濡れずにお家に帰れる。
 勿論僕は冷たいし、凍えてしまう時もあるけれど……
 それは数少ない、僕の自慢だった。

 今日は晴れだ。
 昨日とは違って、人通りが凄く少なくなる。
 近くに新しい街道ができて、その方が近道だから、みんなそっちに行ってしまう。
 少し悲しいけれど、仕方ないことかな、と思う。
 誰だって、お家には早く帰りたい。
 それで皆が楽しい気持ちになれるのなら、僕は幸せなんだ。

 ペッ、と。

 誰かが、僕に唾を吐いた。
 汚いなぁ、と僕は無いはずの顔を少し顰める。
 でも、それも仕方のないことかな、と思う。
 誰だって、木に意思があるなんて思わない。
 僕を僕だと思ってくれないのなら、何をされてもやっぱり、仕方のない事だ。

 
 今日は雨だ。
 いつもより、強い雨
 僕は伸ばした枝と自慢の葉っぱで、下を通るみんなを雨から守る。
 傘を忘れた人は僕の影に入って、雨に濡れなくなった時、安堵の笑顔を浮かべてくれる。
 それを見ているのが、僕は凄く大好きだった。
 でも

 ポタリ、と。

 僕の葉っぱから、一滴の雫が零れ落ちた。
 あれ?と、僕は無い顔を少し傾げる。
 多分、雨の量が多すぎたのだ。
 僕の葉っぱだけでは、受け止められなかった雨粒が
 ポタリ、ポタリと落ちていく。

 みんなの表情が、変わった。
 僕の大好きだった笑顔は
 眉を顰めるような、不機嫌そうな顔に変わってしまった。
 「使えない奴め」と、言われたような気がした。
 だから僕は必死に雫を止めようとしたけど、駄目だった。
 僕は、とても大きな木。
 自分自身から流れ落ちる雨粒は、止められない。
 みんなは僕の葉っぱの影から、次々と居なくなってしまった。

 しばらくして――雨が止んだ。
 
 残っていた人達も、用済みだと言わんばかりの勢いで、居なくなってしまう。
 ……当然だ。
 雨が止んでいるのに、僕の体からは未だに雨粒が零れ落ちている。
 周りはすっかり晴れなのに
 僕だけが、雨を未だに降らせている。

 悲しかった。
 雨の日でも、みんなを守れなかったことが。
 それができなくなった途端、みんながいなくなってしまったことが。

 バキリ、と。
 何かが折れる音がした。
 それは、僕の枝だ。
 そこまで強い風でもなかったのに、どうして?
 そう、僕自身に問いかけていると……

 地面に、僕が落ちるような感覚を覚えた。
 流れる景色に、僕は眩暈を感じる。
 僕は、大きな木。
 自分自身が落ちていく経験をしたのは、これが生まれて初めてだった。
 どうやら、僕は枝になってしまったらしい。
 何故だかわからないまま、小さな枝になってしまった僕は――

 地面に、激突した。
 痛い、と僕は身を小刻みに震わせる。
 痛さ何とか抑え付けながら、僕は地面に寝転んで真上を見上げた。

 そこには、大きな木があった。
 雨粒を零し続ける大きな木。みんなを守れなかった僕自身が、そこにいた。

 雨粒が僕に降り注ぎ、弾くように辺りに飛び散っていく。
 みんなから僕は、こういう風に見えていたんだろうか?
 そんな風に、僕自身を見上げる奇妙な感覚を、雨粒に濡れながら味わっていると

 ふと、僕に手が差し出された。

 僕は驚いて、その手の主に視線を寄せる。
 それは、小さな子供だった。
 その子は小さな枝になってしまった僕を優しく掴むと、そのまま持ち上げる。

 ダメだよ、と僕は思う。
 枝になってしまった僕の身体は、地面に落ちた時に付いた土が、沢山付いている。
 汚い僕に触ると、君も汚くなってしまうよ。
 そう言いたいのに、僕は声が出せない。
 そんな僕の思いを知ってか知らずか、その子は満面な笑顔を浮かべて

 大きな木が流す雫に向かって、僕を差し出した。

 ポタリ、ポタリ、ポタリ。
 僕に付いた土が、かつての僕が流す雫で、洗い流されていく。
 その子の優しい指で、その雫を僕の身体全体に広げていく。
 そして小さな枝に付いた雫が、汚れてしまったその子の手に――

 ポタリ、と。

 優しく、流れ落ちた。
 その雫を使って、その子は両手をそっと摺り合わせて、汚れを洗い流していく。

 これでもう、大丈夫だよ
 そう、その子が言った気がした。
 小さな枝になってしまった僕には、もう声は聞き取れないけれど
 ハッキリと、そう聞こえた気がした。








 僕は、大きな木。
 立っているだけで、降り注ぐ雨から誰かを守れる。
 でも今の僕は、雨粒から誰一人守れない小さな枝。

 小さな部屋の中で
 一人の子を見守るだけの、小さな枝。



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