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ウェヒヒを探して三千里(映画感想)


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この記事はまどかマギカのネタバレを含むんだ 

 本編を見てない人は早々に立ち去るといい。それが君の運命だ!
 という事で映画の後編を見てきたのでほんの少し感想を。



















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改めてみると凄い作品ということを再認識

 音楽の重厚さとか声優の迫真の演技。
 どれもこれも映画という媒体にキッチリ合っていて――正直迷っている方に言いたい。ブルーレイで複数回見るより断然映画の1回をお勧めすると。
 這い上がってくるような鳥肌が何度出現したことやら。音ってホント凄いです。


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ループについて

 呟きや食事の時にも言った事ですが、ループについて。
 ほむらはまどかが生き残る可能性を探す為に幾度も時間を撒き戻して行くわけですが、それが原因で無数の平行世界が出来上がり、鹿目まどかに大量の因果が収束してしまう。

「お手軽だよほむら! 君のお陰でまどかは最強の魔女になるんだ!」

 とはインキュベーター様のお言葉 
 遠回しに言ってますが、要は『まどかを頑張るために色々頑張ってたみたいだけど、それ全部無駄だったね! むしろ逆効果だったよ!』 って事です。
 ループ物のゲームでのループは大抵都合のいいもので、やり直す度に希望が見えてくるのが定石ですが 『お前そんな便利なモンが何のデメリット無いとでも思ったの?』 とばかりのインキュベーター様。
 その言葉が尾を引き、最期には魔女化寸前まで追い詰められるのですが……

 
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そこで主役のまどかさんが全部持っていきます

 身も蓋も無い言い方ですが、ループ物でハッピーエンドを迎える系はこういうのが多いです。
 全員生き返ったり、平和な時間軸に世界を作り変えたり。
 しかしそういうエンディングを見ていて思うのが 「それじゃあループ中のキャラの頑張りって全部無かった事になっちゃうじゃないか」という事。
 どんなに悲しい事があっても、どんなに素晴らしい事があっても、キャラにとってはエンディング後の世界が全てであり、その間の頑張りって夢みたいなものになっちゃう気がするんですよね。
 例え『俺にはうっすらあの記憶が残ってる』みたいに言われても同じ事。
 その頑張りが「主役が来るまでの時間稼ぎ」とかだと、俺は尚更空しく感じます。
 

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しかし、この作品は主役がトンでも奇跡を起こす所からは別物

 まず『逆効果だったね。お手柄だよほむら!』 の件。
 確かに因果律云々のせいでまどかは後戻りできない状況に雁字搦めにされていき、発生する魔女も地球崩壊クラスへと登りつめてしまうわけですが。
 因果律云々が莫大になってしまったからこそ、まどかはトンでも奇跡を起こせる事ができた。 
 それって時間稼ぎ云々じゃなく、ほむらの何週ものループの経過がなければ起こり得なかった事なんですよね。
 無駄だと言われた事が、最大の逆転の札になる。 
 実行したのが主役だろうと、積み上げたのは間違いなくほむら。
 それを実行に至らせたのはQBであり、悲劇を身近に感じさせたのはマミやさやかであり、あんこさん。
 ループ物は本来軽くなってしまうはずなのに、そういった奇跡に至った幾つもの 『事実』 が、物語を深くしてる要因なのかもしれない。

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長くなったので今回はここまで!

 本当は虚淵先生の話とかも書きたかったんですが、今日はさすがに遅いんでこの辺で。
 一言だけ言うのなら、希望から絶望に変わる総転移エネルギーはエントロピーを凌駕する  の台詞
 よく「わけがわからないよ」とされるキュゥべえの一台詞なんですが、ある意味ではあれが監督の伝えたかった事なんじゃないかなーと俺は思います。