白矢君と蒼菜さん 豆腐編
「パープー」
「なんだ? 突然サケの魚卵の声真似をして」
「違うよ。あれだよあれ」
蒼菜が教室の窓を指差し、白矢はその奥へと視線を向ける。
そこには、元気に歩き回る豆腐屋の姿が。
どうやら蒼菜は、それの声真似をしているらしい。
「パー、プー」
「サケの魚卵でなくラッパの音か……」
「まず卵に声無いだろ! 誰か突っ込めよ!」
前の席の友人Aに何の変哲もない突込みを受け、白矢はため息を吐く。
「お前は知らないだろうが、松魚にも拳螺にも声がある。中の人もいる。突っ込みをするには勉学が足りな……」
「パー、プー」
「……しかし、豆腐屋も同じぐらい芸が無いな」
「ぱぷ? 芸が無いって?」
蒼菜の声真似を聞いていると変な気分になってくるが、白矢は雑念を追い払い説明する。
「だってそうだろう。奴等は揃いも揃ってラッパを吹いている。法で定められているわけでもないのに――だ」
「豆腐屋はラッパを吹かなければならない。なんて法律があったら嫌だぞ俺……」
「それはともかく、そもそも豆腐屋は昔大声を張り上げて自身の存在を示し売り歩いていたんだ。だが、それだけでは目立たない。自己の存在を確立できない。そこで一風変わった音を出す事のできるラッパに着目したんだ。少しでも目立つ事ができるように、少しでも自身を際立たせる為に……」
「なんでお前そんな深刻そうなんだ?」
「私、なんとなくわかる……」
「前言撤回。お前 『等』 なんで深刻そうなんだ?」
「ともかく、あのラッパは他の有り触れた食品宣伝からの、凡俗からの脱却の象徴とも言えるわけだが……それは過去の話だ。今のラッパに特別な意味など存在しない。ただ先人の例に倣い、模倣するだけの腐った風習だ」
「お前全国の豆腐屋に謝れ」
白矢は言葉を一度区切り、机の中から一つの楽器を取り出した。
それを見て、蒼菜の、友人Aの顔色が変わる。
――鍵盤ハーモニカ。
鍵盤楽器でありながら、実質的に管楽器と同様、息を吹き込む強さを加減することで表情豊かな表現が可能な唯一無二の楽器。その巧みの性能故に学業に携わる者の殆どが一度は触れる事になるであろう傑作。
ただそれを操るには、人並みの肺活量が必要となる……。
「これを、豆腐屋に吹かせる。それで全て解決だ」
そう言って白矢はゆっくりと席を立つ。すると――その腕を捕まれた。
前方の席に座る、友人Aに。
「……待てよ」
「……何の真似だ?」
「ここから先には行かせない、って言ってるんだ」
「ほぅ……?」
「目立っていいじゃないか」
「良くない! どう足掻いたってそりゃシュールだろ!? 豆腐屋のおっちゃんだってそんな事は望んでいない!」
「貴様。まさか豆腐屋の……」
「ああ、顔馴染みさ。 豆腐屋のクーポンは常に持ち歩いてる」
「そういう事か。貴様が敵になるとはな――」
「白矢。 例えお前が相手でも、俺は豆腐屋のおっちゃんのプライドを守る! 守らなくちゃいけないんだ!」
決闘盤が展開し、友人Aの腕へと装着される。
奴は本気だ――そう肌で感じ取り、白矢もデッキに手をかける。だがその時、蒼菜がスッと立ち上がった。
「悪いけど、私も友人君に加勢するよ」
「……どういった風の吹き回しだ?」
「パー、プー」
「ど、どういった風の吹き回しだ」
「私はあの音が好き、失いたくないって思う。でも、それ以上に……その楽器」
蒼菜は芝居がかった動作で、鍵盤ハーモニカを指差す。
それはよく見ればあちこち傷だらけで、長年使われていた事は明らかだ。
「それを豆腐屋の人にあげに行くんだよね」
「ああ」
「それは、白矢君が使っていたものなんだよね」
「……ああ」
「口、つけたんだよね」
「……」
「うん、よくわかった」
慣れない動作で決闘盤を展開し、蒼菜は真剣な眼差しで白矢(が持つ楽器)を睨み付ける。
空気が凍る程の威圧感。そしてかつてない程真剣な表情を浮かべ、言い放った。
「売ってもらう――どんな犠牲を払ってでも!」
「何する気だおい!」
決闘!
大切な誰かの尊厳を守る為。
欲しい物を手に入れる為。
状況を作ったはいいが、この場から今すぐ逃亡する為。
三者三様の心境と、意思を伴った声が響き渡った。
その後なんとか勝利した一名の生徒が、豆腐屋に満身創痍で決闘を挑み、完敗したという。
おわり