オリジナル番外編 ~戒斗~
力があった。
何にも役に立たない。ただ存在するだけの些細な力。
だが普通の人間には持ち得ない力であり、異質な力である事は事実だ。
――サイコ決闘者。
少しでも異質な力を持つ者を、持たざる者はそう呼称する。
自分には出来ない事が可能なサイコ決闘者を、普通の人間はどう思うか。
尊敬だろうか?
羨望だろうか?
――違う、そんなはずがない。
「がっ……げはっ……」
聞こえてくるのは、まるで違う誰かのような、泥のように濁った叫び。
確かに最初は興味本位で、好意的に接してくる者もいるかもしれない。
だが、現実は違う。
少しでも異質な者はやがて恐怖され、嫌悪され、迫害される。
それが世の中の真実であると、少年は知っている。
「やめ……それは……」
「やっぱコイツ隠し持ってやがった! 危ねぇなぁ、油断も隙もねぇよなぁ!」
ゲラゲラと仲間内で笑いあう声が響き渡る。
笑い(わらい)とは、楽しかったり、嬉しかったりなどを表現する感情表出行動の一つ。
「笑う事は健康的にも、とてもいいことですよ」等と、どこかの専門家が言っていたのを思い出す。
笑う事はいいこと。
それが本当なら、自分はおかしくなっているのだろうか。
だって目の前のワライゴエからは、恐怖しか浮かばない。
「お前さ。習わなかったのかよ?」
伸ばした手を踏みつけられ、激痛が迸る。
ミシミシと木が裂けるような音が聞こえ、それが現実感を希薄にさせる。
「学校に、アブナイ物を持ってきてはいっけませーん! そんなの、小学生でも知ってるよなぁ?」
「が、あああああああああ!」
「エアガンとか持ってきても俺等怒られるのにさ。お前がこんなものを持ってきていいわけねぇよなぁ?」
こんなもの。
そう呼称して手に掲げるのは、少年の 『デッキ』 だった。
大切な物があのワライゴエに奪われてしまった事に、少年は恐怖する。
かえせ、と声を上げようとした所で手に全体重を乗せられ、激痛で悲鳴に上書きされる。
「俺等一般人にとって、お前等サイコ決闘者の 『デッキ』 は凶器なんだよ。エアガンなんて比べ物にならねぇ程のなぁ!」
声の主の主張は、極端に言えば正しい。有能なサイコ決闘者が暴走した際の破壊力は、想像を絶する規模になる事もあるからだ。
だが、少年は 「違う」 と声にならない叫びを上げる。
その様に強力なサイコ決闘者は極少数な上に、少年自体のサイコ決闘者としての能力は、実は皆無に等しいからだ。
<ファイアーボール>を具現しようとストーブよりも冷たい温風が発生するだけだったり、少年が<サイクロン>を具現するよりも、下敷きで扇ぐ方が涼しくなる――そんな程度のものだ。
だから少年の力は無害だった。
いや、後から思えば……無害だったからこそ狙われたのかもしれない。
「そんでも先生からお咎めなしってのは不公平だとおもうわけよ。俺等もおっかなくって授業に集中できやしねぇ。だからさ……」
手を踏みつける力が増し、何かが折れた感触がした。
だがそんな痛みよりも少年は恐怖する。
「こうしてやろうって多数決で決めたんだよ……!」
そう言った声の主はデッキケースからデッキを取り出し、ばら撒いた。
午前中が雨天だった為、地面は泥だらけだ。
やっとの思いで手に入れることのできたカード達。
何度も考えて
何度も組み合わせを変えて
やっとのことで学校でも実力は指折りと言われていた決闘者に、試合授業で勝つ事のできた、自分だけのデッキ。
それらが全て、泥水の中へ。
「あ――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!」
「化け物の癖に調子乗ってるからこういうことになんだよ。へぇ、カードって水に浸るとこんなになっちまうんだな!」
「笑えるよなー」
「俺たちいい事してるんじゃねこれ? 化け物退治って奴?」
「どっちかってーと調教だろ。猛獣のさ」
ゲラゲラと笑い続ける中、少年は渾身の力を振り絞って足から手を引き抜いた。
足を踏みつけていた声の主の意外そうな声が聞こえる。
それを無視して、少年は泥水の中のカードを探す。
一枚ずつ
一枚ずつ
自分の手の中に、収めていく。
でもその一枚一枚のカードを、ふやけてしまった大事なカードを見る度に
今にもめくれそうな
水の重さにすら耐えられないような
そんなカード達を触る度に、じんわりと涙が浮かび上がってくる。
「ッ……」
「うわ、こんな泥だらけになってもまだ拾うとか……」
「サイコ決闘者にとっちゃ大事な大事な 『武器』 だからな。そりゃ泣いてでも拾うだろ!」
違う。
違う違う違う。
これは、自分の作った、大好きなカード達で作ったデッキなんだ。
大事に思うのは、諦めきれないのは
当たり前じゃないのか。当然のことじゃないのか。
必死に欠片をかき集めてると、上に影が差す。
その手が拾おうとしていた泥だらけのカードを、摘み上げる。
「そうだよな。まだドライヤーとかで乾かせば、ちゃぁんと使えるかもしれない。諦めるのはまだ早いよな」
それはその言葉単体で見れば、救いの言葉に思えたかもしれない。
だが救いを口にするには、可能性を示唆するには
余りにその声は、憎しみに満ちていた。
そして少年のその感覚を証明するように。
声の主は摘み上げたカードを、破り捨てた。
「あれ、今日カード持ってきてないのか?」
コクリと少年は短く頷き、その場を後にする。「なんだよリベンジする気だったのになー」 と本心から残念がる声は、先日少年がやっとの思いで倒した実力のある決闘者のものだ。
決闘の内容は最高だったし、勝った瞬間は本当に達成感を覚えた。
でも、もう彼とあの決闘をすることはできない。何よりカードを見る度に、自分がデッキを失った事を再認識してしまう。
逃げるように教室から抜け出した少年は、そのまま足早に帰り道へと急ぐ。
昨日あった出来事や、カードに関わる全ての事から逃げ出したかった。忘れてしまいたかった。
「……何してるんだよ。こんなトコで」
なのに、少年は路地裏に佇む、知らない男子に話しかけた。
なんとなくわかってしまったのだ。コイツは、自分と遠からず、似た目にあった直後だ――と。
「なるほどね。君もあいつ等にやられてるんだ……僕だけじゃなかったんだなぁ」
仁と名乗るソイツに事情を聞き、同じように事情を話すと、苦笑いを浮かべながらそう言った。
その物言いと態度に、少年は眉を顰める。
「……なんか、余り辛くなさそうだな」
「辛い事を辛いって言うと、言わせたい連中は喜んで同じ事を繰り返すから」
「なるほど、随分慣れてるんだな。おまえ」
「すぐに今の言葉の意味を理解できちゃう、君もね」
「そういうのは癖になるからな。わかるよ」
少年はため息を吐く。
何度も 『そういう目』 にあってる人間は、合わせている側の心理が、多少なりともわかるようになる。
どういう反応をすれば相手が喜ぶのか、調子に乗らせてしまうのか。経験で理解できるようになる。
ならば、その逆の事をすればいい。そこから導き出した仁にとっての答えは 『笑う事』 だったのだろう。
そしてそれを長く続けていればそれは癖になり、例え警戒をしていない相手に対しでも、同じ行動を取ってしまう。
笑顔という仮面を、無意識に装ってしまう。
「僕の名前は長井仁。君は?」
「俺、俺の名前は――」
本来なら、今日出会ったばかりの人間に名乗ることはしなかっただろう。
しかし何処か他人には思えない仁に対し、少年はしばらく間を開けた後、呟く様に告げる。
「――永洞、戒斗。戒斗でいい」
奇妙な縁とは、正にこういった関係を指す言葉なのかもしれない。
互いが同じグループに虐げられている。そんなロクでもない結びつきだったが、仁の事を理解するのに、そう時間はかからなかった。
それは、お互いの境遇が酷似していたからかもしれない。
今日も路地裏にいた痣だらけの仁を見つけ、こうして話している。
「戒斗と話してると、少しだけど気分が良くなる気がする」
「……また奴等に蹴られたりしていたのに、か?」
「だからこそ……って言うとなんか嫌だな。共有感……一体感とでも言うのかな。話していても、不安にならない」
「話していて常にいちいち不安になるのも、不安にならないってだけでいちいち喜ぶのも、一般的じゃないけどな」
「そう、僕らのそういう感情はきっと普通じゃない。……でも、戒斗は理解できるだろう?」
自信満々のようで、言葉とは裏腹に不安そうに笑う仁を見て、戒斗はぶっきらぼうに答える。
「……一体感ってのに無縁なのは、確かかもな」
皆で頑張って、何か一つの事をやり遂げる。
数多くの人にとって当たり前の事であるそれを、戒斗は少し遠くから、ただ眺めているだけだった。
参加している人間は、余りに楽しそうで――
「同じ事かもしれない。僕らと、あいつらは」
「……奴等と、俺たちが?」
「一体感が心地いい。皆と同じ事をやると、安心する」
「おい。それは……!」
ふざけるな、と言いたかった。だがそれを言っている仁の目が酷く悲しそうで、戒斗は手を止める。
「皆と同じだからこそ、ここにいていいんだって、そう思える。自覚はないかもしれないけど……」
「……」
一体感。
他の人間と一緒の思いだと、心から信じていられる空間は、誰しも望み、維持したいものだ。
周りと迎合し、誰かを敵に仕立て上げ――それを虐げる事で、強力な一体感を得ようとする。
敵がいれば、自分は味方と争わずに済む。
敵がいれば、自分はいつまでも仲間と一体でいられる。
確かに、そういう事もあるかもしれない。だけど……
「冗談じゃない。それが事実だとしても、それで許されるわけねぇだろ!」
「勿論ならない。でもそうやって相手を理解しようとしないと……」
「しないと?」
「……いや、それより、もう一度一緒に作ってみないかい?」
「何を?」 と言う戒斗に、黙って仁は何かを差し出してくる。
それは古びた、一枚のカードだった。