シューティングラーヴェ(はてな)

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アーケード・アンチヘイター episode-42 (期間限


『何か飲むの?』
 植実からチャットが送られて来たが、俺は構わず正面にある自販機のボタンを押す。
 その自販機の中で唯一のミネラルウォーターを手に取ると、植実をチラっと見て、それを差し出した。
『えっ、これ私に?』
「それ欲しがってたよな?」
『う、うん。なんでわかったの?』
 俺は内心ガッツポーズを作る。それが顔にも出てたのだろう。植実はますます不思議そうな顔を浮かべた。
「一瞬植実の視線が自販機に行ったのを見てたんだ。で、どの辺りを見てたのかを大体予想して――後は少しズルいけど、缶を取り出した後の表情で決めた」
『ズルくなんかないよ凄いよ!? 私が硬水好きなの隠してたのに……』
「……硬水って……じゃあいつも無理してストレートティー飲んでたのか?」
『しまった』
 本当にしまった!という顔をしたので、俺は思わず笑ってしまった。
 そんな俺を見て、植実の顔は真っ赤に染まる。
「別に気取らなくてもいいじゃないか飲み物ぐらい」
『うう……でもどうしたの? 無利君クイズ番組でも昨日見た?』
「いや、できる事を考えてみたんだ。俺は正直足を引っ張ってるから……」
 即座に首をぶるんぶるん振る植実。チャットでは打つまでのタイムラグがあるので、より速く否定したかったのだろう。その気持ちは嬉しいが、それに甘えるわけにはいかない。
「いいんだ。俺は優勝の為に単純に自分のできる事を全部しようって思っただけなんだから、それは植実も同じだろ?」
『うん』
「植実は強い――だけど弱点はある。身体が弱いのもそうだけど、一番は声による意志疎通ができない事だ。自分が何を狙っているのか、何を仕掛けるのか。相方にどうして欲しいのか……それら全部が戦闘中に伝達できない。メールは見れないし、手話は……特区では覚えさせてもらえない。そもそもこれも戦闘中は見てる暇がないしな」
『そうだね……』
 しょんぼりと項垂れる植実をチラ見して、俺は再び視線を前に戻し、言った。
「なら俺が言葉無しで植実を理解できるようになればいいんだ。それで優勝できる」
『ええ!?』
「無理だと思ってるんだろ? 俺もそう思うよ。人間は複雑で、簡単に理解できるもんじゃない。――でもだからこそ、底が無い。無理かもしれないけど、考えてもマイナスにはならないと思うんだ」
 そう言った後、しばらくキョトンとしていた植実が、ゆっくり文字を打ちはじめる。
『無利君』
「うん?」
『私が今何考えてるか、わかる?』
 今度は俺がキョトンとする版だった。ヒントが無いので皆目見当が付かない。
 本気でハテナマークを浮かべていると、植菜が後ろから手を回してきた。
 ほええ!? と謎の声を出てしまうが、それもすぐ引っ込んでしまった。背中に少し暖かい湿った感覚。
 植実の手元を見るとそこには端末の画面。送信されていない文字が表示されていて――。

 ありがう

 植実が何故泣いていたのか。俺にはわからない。
 わからなかったから、考えた。
 何故最後まで送信しないで抱き付いてきたのか。
 何故滅多に誤字らない植実が、こんな短文を打ち間違えているのか。
 ……多分それは、一刻も早くこの気持ちを伝えたかったのだ。
 普通の人なら、声に出して伝えればいい。
 自分の中に湯水のように湧き上がる感情があるのなら、即座に伝えればいい。
 だが、植実はできないのだ。文字で会話ができると言っても、必ずそこには時間がかかってしまう。
 喜びや楽しさは永続しない。時間が経てば擦り減って、いつかそれはゼロになる。
 逆に言えば少々の時間で興奮や喜びがゼロになることはない。それなのに植実は「ありがとう」を打つ暇も惜しんで、俺に突進してくれた。
 胸に暖かさを感じた。必要とされる事を目指し続けた俺にとって、知らない種類の暖かさ。
 必要とされるか否かじゃなく、その感情をぶつけてくれたのが嬉しかった。
  
 俺はそれから植実に関しての色々な下らない事項を片っ端から理解し少しずつ積み重ねて行った。
 顔も背格好もじろじろ見るようになった結果、本人から恥ずかしいとの苦情をもらい控えるようになったり、その影響かマスクをよく着けるようになった。
 それでも勝つ為以外にも植実の事をよく知りたいと思った俺は、通報ギリギリの線を守り観察し続けた結果。
 何のサインも無しに、植実との高レベルな連携を展開できるようになっていった。



 アイツの身長は、どのくらいだったろう。
 ――あの遺体の身長と同じぐらい。
 アイツの腕は細くて、弱弱しかった。 
 ――あの遺体の腕は細くて、今にも折れてしまいそうだった。

「……助けなくちゃ」
 俺はあの遺体が誰かを確信し、ようやくやらなければならないことを思い出す。
 ――アレは植実だ。
 ずっと見つからなかった小河植実だ。
 だから、助けなくちゃいけない。
「……蛇内、あれは船の中の何処だ?」
「聞いてどうすんだよ」 
 呆れた笑いを浮かべる蛇内。俺はそれを意識から必死に外して、繰り返す。
「あれは船の中の、どこだ」
「あのな。あれはただの遺体だ。もう死んでるんだよ。死んでる奴をどうやって助けるっていうんだよ」
「遺体……? 違う、あれは植実だ。現に顔が見える」
 炎で肉が溶け出している。しかし上部はまだ炎が弱いのだろう。顔にはまだ至っていない。
「顔が見えるって言ったのはイメージの話だって。アイツの生前が誰なのかわかるか? って単純なイメージの話! 実際に首なんか付いてねーってば」
「俺には見える」
「……その 『顔が見える』 ってのがもうおかしいと思わねーのか? 顔があるから死体じゃないってわけでもないだろ。現に……」
 蛇内はそこで少し笑って、背景の映像を促す。

「――その顔は、全身が骨になってもついてるんじゃねーか?」

 時間の感覚が、おかしくなってしまったのだろうか。
 上半身にまで登っていなかったはずの炎が、いつの間にか全身に至っていて。
 溶ける。溶ける。溶ける。
 全身の肉が高速で溶けだして、植実を人の形から違う物質へと変質させていく。
 ――それでも顔は、変わらない。
 さっきよりも炎の勢いが増しているのに、植実の顔は変わらない。溶けもせず、ただその場所に在り続ける。
 そこでようやく、俺は現実を理解した。
 植実は、既に死んでいる。既に首が無い状態の死体……身体であり、その身体も今焼却された。
 特区の最先端技術が生かされているのか、既に溶ける肉は存在せず、骨だけにされている。
 そして俺の脳が作り出した虚像の顔だけが、卒業写真の欠席者のように不格好に、そこに在り続けている。

「実はさ。オレが殺したんだ」

 告げられた言葉と同時に俺の立っていた床が浮上していき、愛機であるプロトナイトが目の前に具現されていく。通常の対人戦闘と動揺、これで俺はクォーターヘルメットを外す事は不可能――つまりは、ゲームが終わるまで移動する事は許されない。
 ……いや、違う。そうじゃない。今、コイツは何て言った?
「……殺した? 誰を?」
 愚かな問いだった。そんなこと、聞かずともわかり切っている。
「と言っても最近のことじゃなくて、大会終了から間も無い頃だったけどな。オレが――」
 蛇内はそう言いながら、自然な風に微笑みながら。

「オレが、植実を殺しちゃったのは」

 そう言った。
 確かに言った。聞こえ。伝わった。
 コイツが過去に何をして、今何をしたのかを。
「――なぁ蛇内。一ついいか?」
「ん?」
「なんでお前は――今笑った?」
「そんなの決まってるだろ」
 そう、そんなのはいちいち聞く必要はないことだ。
 蛇内に笑う理由を聞くなんて、それはもう、鳥に鳴く理由を聞くのと同じぐらい愚かな問いで。
 しかし、しかし。
「何があっても笑って乗り越える。そう決めてるからだよ」
 そう言って微笑む蛇内を見て、俺は拳に力を入れる。
 力にセーブが効かない。液体が滲んできて、それが球状のスティックである《操作球》を汚していく。
 笑って乗り越える。
 それはどこか、響きのいい言葉だと思っていた。
 鞠の事も本当は悲しんでいて、やせ我慢としての笑いだと思っていた。
「蛇内、俺は――」 
 でも、これだけは。

「――俺は、その笑いだけは許せない」

 一度始まった以上、直接殴る事も、ここから抜け出しあの映像の部屋に向かう事も不可能だ。
 だからこそ俺は操作球を強く掴み、それに感情を乗せていく。
 クォーターヘルメットがそれに呼応して、嗤うように赤く点灯した。