シューティングラーヴェ(はてな)

シューティングラーヴェの移行先

アーケード・アンチヘイター episode-49 (期間限

バスが、ようやく到着した。
 重い身体――いや、重い 『頭』 を引き摺るように、バスに乗り込む。
 席は殆ど埋まっていたが、今は背伸びして吊革に捕まる元気は正直無い。
 どこか座れる席はないものか、と車内を見渡していると――。
「隣、空いてますよ」
 二人席に座っていた人が、優しく声をかけてくれた。
 その人はとても優しそうな表情が印象的なお婆さんで、今も笑顔を浮かべている。
 お言葉に甘えて隣に座らわせてもらい、感謝の言葉を伝えると、お婆さんは「いえいえ」と大袈裟に首を振る。
 その表情が本当に。余りに幸せそうに見えたので、わたしは思わず問いかける。
「何か、いい事でもあったんですか?」
 そもそもこの特区にいるお年寄りに、笑みを浮かべる人など殆どいない。
 なのにどうして――という想いが、口を開かせた。
「そうですね。いい事なら確かに先日ありました。丁度このバスだったんですけどね」
「バス?」
「些細な事と笑うかもしれませんが、席を譲ってもらったんです」
「席を、ですか」
 本当に嬉しそうに皺を寄せるお婆さんは、とても幸せそうに見えた。
 だから些細な事であっても、本人にとっては――本当に嬉しかったのだろう。
「座れた事よりもですね。気にかけてくれたことが嬉しいんです。ここの子供達は――私達年寄りを、良くは思ってないと思っていましたから」
「そう、ですね。そういう人は多いかもしれません」
 特区の子供は基本的に、家族に『いらない』と判断されここに送られてくる。人間の底辺として。
 人は自分の位置を無闇に下げたくない。高い所に自分を置きたくて仕方ない生き物だ。
 だから特区の子供の大半は必要以上に誰かを見下したがる。何故なら、自分が既に最下層の人間だから。
 そしてその『誰か』とは自分と同じ特区の子供であり、送られたお年寄りだ。
 自然と特区の子供は、老人を基本的に見下すようになって行った。
 そうしないと、自分を高いところに置けないから。
「だから、嬉しかったんです。単純ですよね」
「いえ、立派な子だと思います」
 そういった風潮があってか。年寄りに席を譲ること自体が、特区の子供にとってタブーだった。
 ――当然だろう。それはお年寄りを同じ人間として見るという事であり、それが罷り通れば見下す対象が自分達以外にいなくなるという事だからだ。
 そんな中席を譲るという、外の世界では当たり前だった事を――ここでは勇気のいる行動は、その子はした。
 それはきっと、立派な事だと思う。
「でも不思議でしてね。その子学校行きの切符持っていたのに、途中で降りちゃったんですよ」
「……登校時間だったのに、ですか?」
「ええ。なんか急に思い立ったみたいに席を立って、無言でバスから降りてしまって」
「え……っと、それ席を譲ったってよりも、単に」
 そこで降りたかっただけなのでは、と口にしそうとなった瞬間に、お婆さんはゆっくり首を振る。
「確かに『座りますか』と聞かれてはいませんでしたけど、重そうな鞄を持ってましたし、あの子は学校に行くつもりだったのだと思います」
「でも……間接的に席を譲る為に無言で降りた、と」
 なんだか、少し笑ってしまう。
 まるで――どこかの誰かさんのようだ、と。
 冗談半分。半分本気で容姿の特徴を伝えると、お婆さんは微笑むと、コクリと頷いた。
 私もソレに釣られて笑みを浮かべて、同時に目的のバス停に到着する旨のアナウンスが流れる。
「お婆さん、ありがとうございました」
「いえいえ」 
「その時バスに居てくれて……よかったです。本当に」
 ハテナマークを浮かべたお婆さんに会釈し、私は感謝を噛み締めつつ、乗ったバスから降車する。
「間接的に私は、あのお婆さんに――会わせてもらってたんだね」
 目が覚めて間も無かったあの頃。
 記憶が覚束なかったあの時に。記憶が戻っていなかったあの頃に。
 ――無利君に会えたことが、どれだけ幸せだっただろう。
 ドクン、と。
 心臓が高鳴り、顔が紅潮する。
 ごめんね。と心臓に謝りながら、私は足を進めて行く。

 数分程歩いていると、見知った人と鉢合わせた。
 と言っても、余り歓迎したい人ではなかった為、全力で他人のフリをしてそのまま――。
「……おいテメェ」
 ――うん、無理だよね。
 私は怖いのを我慢して、目の前にいる不良――《紫電》の操者、四宮さんに向き合う。
 何も知らなかった私に対人戦を強要し、無茶苦茶にしようとしてきた怖い人。
 でも、今は怖がってる場合じゃない。
 私は怖がっているのを悟られないように、四宮さんの顔を見上げる。
「テメェじゃなくてウィナだよ。多文ウィナ」
「テメェなんかテメェで十分だ。俺はもう女如きに構ったりしねぇ」
「……おほもさん?」
「そういう意味じゃねぇよ殴んぞテメェ!」
「それはともかく、今正に構ってると思うけど」
「口の減らねぇガキだな……!」
「だからガキじゃなくて、多文ウィナ!」
 言い聞かせるように名前を連呼すると、抱いていた怖さが少し和らいだ気がする。
 四宮さんは苛立ちを浮かべた後、それを抑えるように溜息を一つ吐くと、こう言った。
「――テメェに一つ聞きたい」
「……?」
        
「あの 『痕』 は――――なんだ?」

 沈黙。
 一瞬何のことかと思案したが、すぐに思い当り合点がいった。
「ああ、見ちゃったんだ」
「テメェを救護室でシメた時にな」
「女の子のお肌を無断で見るなんて」
「誤魔化してんじゃねぇよ。あれはいつできたもんだ? 俺が嬲ったのはゲーム内だ。テメェの頭ん中ならともかくリアルに傷痕は残らねーし、そもそも昨日今日できた痕でも無さそうだった」
「……ずっと気になってたんだ?」
「別に気にしちゃいねぇ。ただ、それがテメェの――」
「……親から受けた虐待とかじゃないよ?」
 言おうとした言葉を先に言われた驚きからか。四宮さんは言葉に詰まる。
「――なら、なんだ? そりゃいつから――」
 いつから付いた傷痕なのか。
 少し返答に困る質問だった。何故なら私はその理由を『知っているわけではない』からだ。
 ただ、多分そうだろうと考えている答えなら、ある。
  
「――わたしが、生まれた時からじゃないかな」

 凍えるような風が吹き、髪と制服を揺らしていく。
 木の葉を刻むかのように強いその風が、熱っぽい身体に今は心地良く感じられた。
「……もういいかな。わたし、急がなきゃ」
「……ああ、かまわねーよ。どうも俺の勘違いだったみてーだし」 
 四宮さんは手を面倒臭そうに振って、私の来た方向へと通り過ぎて行く。
 時間が無い、もう行こう。
 ――そう思ったのに、私は何故か、無意識に振り返り、その遠くなった背中に叫んでいた。
「テメェじゃないよー!」
「……あ?」
「テメェじゃなくて、多文ウィナだよー!」
 今の自分の、精一杯の声。
 こんなところで体力を使っている余裕なんてないのに。
 こんなところで時間を使っている暇なんてないはずなのに。
 私は精一杯の声を出して、叫んだ。
「テメェじゃなくて、多文――」
「――ウッセェよテメェ!! 急いでるんじゃねぇのかよ!?」
 尤もな反論が返って来た。全くその通りなのだが、言いたくなったのだから仕方ない。
 遠くで振り返り怒鳴っている四宮さんに向かって、もう一度声を振り絞って――。
「テメェじゃ――なくて――!」
「ああもう、ウッセェよ。わかったよ多文ウィナ! しっかり覚えてんだよ満足したかテメェ!」
 通りのいい声がそう響き、私は満足そうに頷く。
 それに呆れた四宮さんが――こちらに聞こえない声量で、何かを言った。
 結構な距離がある。だから口元の動きは、はっきりとはわからない。
 ただ、私はなんとなく、こう言われてるように感じた。

 ――悪かったな、と。

 私はそれを見て、もう一度大きな声を出す。
「覚えてるならいいよー! もう二度と口にしないでねー!」
 ふっざけんなテメェと罵声が聞こえた気がしたが、問題無い。
 私は今度こそ迷わず振り返り、自分の行くべき場所へと歩き出す。

 無利君が今、戦っているはずの。
 巨大な――遊肢船の入口へ。