シューティングラーヴェ(はてな)

シューティングラーヴェの移行先

アーケード・アンチヘイター episode-51 (期間限

 ここは、名のある出演者にのみ入る事が許される控え室。

 私――小河植実は特区に来る前、色々な人に必要にされていた。
 自分の声を聞いてもらい、お客さんに喜んでもらえるのは嬉しかった。
 偉い人が言っていたらしい。声というものは、代替の効かないこの世でたった一つの楽器だと。
 勿論、その言葉を心から信じていたわけではない。
 でも世界に一つしかないかもしれない自分の声が色々な人に喜んでもらえるなら、私はその為に頑張りたい。
 そうやってその活動に、日に日に夢中になって行った。
 
 夢中になれる程好きな事がある。
 それは間違いなく、幸せな事なんだと思う。
 ただ。
 夢中という言葉は、いい意味で使われる事の方がきっと多いけれど。
 周りが見えなくなる――という意味も孕んでいる。

「どうしたの? お母さん、体調悪いの?」
「大丈夫よ。私は大丈夫」
 いつも通り控室で私のお化粧をしてくれていたお母さんは、明らかに調子が悪そうだった。
 顔色が悪く、どこか目に力が無い。
 それでもここまでしてくれるのは、全部私の為だ。
 私にオーディションの話を持ってきてくれたのは他でもないお母さんであり、だからこそ娘だけに働かせて母親が何もしないわけには行かない――そんな風に身体に鞭打って、私の傍に居てくれている。
 そんなお母さんが私は本当に大好きだった。だからこそ、無理はして欲しくなかった。
 私は握り拳を作り、元気娘っぷりをアピールする。
「私なら大丈夫だよお母さん! ちゃんともう一人で帰れるし、お母さんは家でゆっくりしてて!」
「でも……」
「お母さんにいつも悪いなって思って、実はお夕食も作ってあるんだ! 先に食べててゆっくりしててよ。お母さんが良くなるまで、私がご飯もぜーんぶ作るから!」
 料理はお母さんに教えてもらっていたので、お母さん程ではないにせよ私の得意分野の一つだった。
 お母さんはそれを聞いて目を丸くし、意を決したかのように微笑む。
「じゃあ、そうさせてもらおうかな。正直お母さん、ちょっと疲れちゃった」
「うんうん、人の多いところ通るから、帰りも大丈夫だよ。お母さんはタクシーで――えっと、電話番号は」
「……植実は本当によくできた子だね」
「そりゃ、お母さんに育てられましたから!」
 えへんと胸を張ってふんぞり返ると、お母さんは力なく笑った。
 ……本当に調子が悪いのだろう。笑う事も難しい程に。
「じゃあ帰る前に――植実、これ」
「あ、水筒。いつものはちみつレモン硬水!?」
「飲んで行きなさい。喉は大事なんだから」
「はーい」
 私は言われるがままに水筒を手に取り。
 お母さんに一刻も早く家でゆっくりしてもらう為に勢いよく流し込む。
 ゴクンと、自分の好物のはずのものを飲み込むと、私は。
「……!?」
 最初に覚えたのは、違和感だった。
 ――いつもの味じゃない。
 お母さんが調子悪かったから配分間違ったのかもな、と一瞬思ったけれど、違う。
 その証拠に訪れたのは、喉全体が焼けるような激痛。
「ァ……ァァ……」
「あら、どうしたの植実?」
 お母さんの声が、遠くから聞こえた。
 それようやく自分が座り込んで、嘔吐してる事に気付いた。
「あらあら、駄目よ植実」
「ぅ……」

「ちゃんと、最後まで飲まなくちゃ」

 私はその声を聞いた瞬間、首を上に力任せに向けさせられ、再び水筒の液体を流し込まれる。
 喉が熱い。口の中が爛れる。たまらずくぐもった、声にならない悲鳴を上げる。
「――。――ッ!」
「それはね植実。特殊な濃塩酸みたいなものよ。それを飲むと――」
 お母さんは笑いながら、耳元で囁く。
「声が、確実に壊れちゃうんだって」
 ――声?
 私の声が、こわれる?
 その言葉を聞いた時、走馬灯のように、今までの事を思い返す。
 色々な人に喜んでもらえるように、何度も何度も練習した事。
 友達と遊ぶのを我慢して、毎日のようにボイストレーニングに通った事。
 そして私が、一番夢中になってきたこの活動。
 それが全部、無駄になる。
 二度と、誰にも喜んでもらえなくなる。
「――。――――――ッッ!」
「勘違いしないでね。貴方は凄くいい子だった。私の大事な大事な自慢の娘。この世の全てより、貴方が大事よ」
 それなら、なんで――。
 そんな思いすら湧き上がる激痛と嘔吐感にかき消され、涙が溢れてくる。
「でもね。私は貴方が一番大事なのに、貴方は大事な物がどんどん増えて行く。仕事仲間。観客の皆さん、ファンの人達――貴方が成功すれば成功する程、私はこう確信していったわ。――ああ、あの子にとって私は、いっぱいいる大切な人達の、一人でしかないんだなぁって」
 ――違う! 
 そう叫びたかったのに、声は一向に出る気配はない。
 もう壊れてしまったのかもしれない。そう思うだけで、どんどん涙が溢れてくる。
「その涙は自分の声が大切だから流れてる涙でしょう? 私に悪いと思って流してる涙じゃない! 私には貴方しかいないのに、貴方は観客の事でも考えてるんでしょう!?」
「――ッ!」
 更に口に液体を無理やり流し込まれる。もう嫌だ。それは飲みたくない――そう言葉にしようとする前に、激痛がまた涙を流させる。これ以上お母さんに涙を見せてはいけないのに。勝手に感情が防壁を突破して、涙を際限なく溢れさせる。
「料理もめきめき上手くなって、お仕事も全部上手くいって――貴方は私がいなくたってやっていける。もう貴方にとって、私は必要じゃないのよ。だから私は貴方の価値を一回リセットするの」
 母親は痙攣する私を抱くように締め付けて、耳元で囁く。

「そうすれば私は、貴方にとって必要でいられるでしょう――?」

 満面の笑みを。
 満足そうな微笑みを、浮かべながら。