シューティングラーヴェ(はてな)

シューティングラーヴェの移行先

普通の小説 『なりかった人』 後編

 教室に戻った時、一人の女子と目が合ったような気がした。
 すぐ顔を逸らしたので、気のせいかもしれない。
 が、心中はそれどころではない。さっき木咲と話した内容が、頭の中でぐるぐる回っているからだ。

「さっさと、教室移動するか……」
 科学の実験の準備に必要な教材を揃え、素早く教室を後にする。
 今は木咲と、どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。





普通の小説 『なりたかった人』後編


「今回使う薬品は、非常に危険な物なので決して触らないように」
 そんな先生の言葉を受け、俺は慎重に実験を進めていく。
 なんでも皮膚に直接触れるとやけどに近い症状を起こしたり
 目に入ったら最悪失明する可能性もあるらしい。

 そんな説明をされるとさすがに少しは怖いもので
 俺は同じ班の少し大人しい感じの男子と丁寧に作業していた。

「それ、取ってもらえるか?」
「……」

 無言でこっちに渡してくる。相変わらず無愛想な奴だ。
 苗字は確か、永洞(えいどう)とか言ったっけか。
 しかし無口で無愛想で目つきが悪くとも、実技系の成績はトップクラスだ。
 俺も得意分野の教科で一つ負けている為、一目置いている存在ではある。

「なぁ、永洞」
「……」

 だが、こちらから雑談を話かけても一切無視である。これでは取り付く島がない。
 授業中で雑談を無視するのは生徒としては正しいのだろうが、俺としては面白くない。

「……?」
 ふと、教室から出て行く生徒を見つけた。手には、実験器具を持ちっ放しである。
 うーん、実験器具は危険だから持ち出し禁止ってのを知らないのか?行って注意するか。

「悪い永洞!後やっといてくれ!」
「……な。時枝」

 俺は颯爽と教室を飛び出す。
 永洞にしては本当に珍しく口を開いた瞬間だったのだが、その言葉を聞く暇もなくその場を去ってしまった。



「あの野郎――」
 まだ半分以上作業が残っているんだが
 二人でやるべき作業を全て俺一人で、しかも二人分のスピードを維持しながらやれというのか。

 大人しいと思われがちな永洞は、心の中で舌打ちと、毒と愚痴を吐きながら
 「上等だ」と小さく言い放ち、凄まじい速度で作業の手順をこなしていった。





 一度は出て行った生徒の見失ったが、自分の教室のドアが開いてるに時枝は気付いた。
 恐らく教室に忘れ物でも取りに行ったのだろう。

「ったく、それならそれで道具くらい……」
 ゆっくりと教室に入ると、そこには女の子がいた。
 見慣れた席、木咲の席に、先程目が合った女の子がいた。

 そしてその女の子は、いや『ソイツは』

「何……やってるんだ……?」




 なんでコイツは
 危険であるはずの実験用の液体を
 木咲の水筒の中に注いでるんだ……?



「聞いてんのか?一体何を――――!」
「……時枝君?そっか、見られちゃったか」

 少し驚いたような顔を見せたが、それも一瞬。
 すぐに何かを諦めたような、そんな表情を見せながら、ソイツ……愛城(あいしろ)は笑った。

「でもいっか。時枝君なら、まだ大丈夫かもしれない」
「何が大丈夫だ。お前は―――」

「私、凄く酷い目にあったの。誰にも言えないくらい、酷い目にあったの」

 突然の、脈絡の無い、告白。
 それ故に時枝は、少しの間絶句してしまう。

「もう、夢も希望もない。そんな状態で学校に行っていたわ」
「……」
「そうしたらね、幸せそうな、大きい声が聞こえてくるの」

 みなまで言わずともわかる。恐らく木咲の声の事だろう。
 確かにアイツの声は、そういう時程耳に響くかもしれない。

「許せないじゃない?私がこんなに苦しんでるのに、夢や希望なんて言う事すらできなくなったのに」
「……」
「あの子だけ夢の中で輝いて、その事を大きな声で喋り続けて!」

 理解できない。
 ――とは、言えなかった。
 似たような感情が自分の中で渦巻いていた事を、時枝は良く知っていたからだ。

「時枝君も口癖みたいに言ってたじゃない。夢が嫌いだ。夢が嫌いだ!って」
「……」
「私も同感!だから私、貴方の事が少し気になっていたの!」
「同類だから?」
「そう。だから―――黙っててくれるわよね?」

 愛城の、怖気がする程の笑顔を凝視する。
 一言で言うなら、狂気だ。狂気を滲ませた、妖艶とした笑い顔。
 だが、そんな事はどうでもよかった。どうでもよくなっていた。

「俺は……お前とは違う!」
 そう言いながら、手を大きく振るう。
 蓋が開いている水筒が勢いよく倒れ、その中身が広く飛び散っていく。
 時枝の手首にも少なくない量の液体がかかり、鋭い痛みを発した。

「……ッ。何すんのよ!」
「お前のした事は、全部先生に報告する。退学処分は免れないだろうな」

 そう言いながら、今度は全力で机を2、3個足でなぎ倒した。
 決して小さくない音が辺りに響き渡る。これで誰かが様子を見に来るだろう。

「なんでよ!同じじゃない!夢が嫌いなのも、夢を見てる奴を見るのが辛いのも!」
 必死な形相で、愛城はこちらを睨みながら叫びをあげる。
 確かにその通りかもしれない。でも

「それでも、夢を見てる奴の邪魔しかできないような奴には――俺はならない!」

 そこまで落ちぶれるくらいなら、死んだ方がマシだ!と。
 俺は心の底から思い、その心を、愛城に大声で叫んだ。












 ――それからしばらく経ち。
 愛城は強制的に退学処分を受け、遠くの地方へと引っ越していった。
 木咲にはさすがにショックが大きかったらしく、しばらく落ち込んでいたが……今は落ち着いている。

「時枝君。私、やっぱりやめない事にしたよ」
「……オーディションの事か?」
「ううん、私らしく歌う事」

 そう言った時の木咲の顔は、凄く良い表情をしていた。
 俺は、その表情を守りたい……等とは思わず

「殴りたいな」
「――え?なんなのいきなり!」

 次またあんな風に迷いやがったら、コイツを殴りたい。
 次またこういう奴の顔を歪ませるような奴が出てきたら、ソイツを殴りたい。

「……もしかして時枝君って、凄く暴力的?」
「いや、暴力はいけないと思う」
「えー……」

 ジトっとした目で、何か言いたげな顔をしていたが、すぐ笑顔に戻る。
 機嫌がいいのかもしれないが、原因はわからない。

 ……気になるのは、愛城自身の問題は、何一つ解決されてない事だ。
 もしアイツがここに戻ってきたら、また木咲に何かを仕掛けてくるかもしれない。
 なら、鬱陶しい事この上ないが、木咲と一緒にいる時間を増やした方が、いいと思った。

「なぁ、木咲」
「なぁに、時枝君」

「――ギター、教えてくれないか?」


 世の中に溢れている、『夢』という言葉が、俺は大嫌いだった。
 何故なら、俺には『夢』が無かったから。
 でも、その『夢』をほんの少し後押しできるような人間になれるなら。
 今より少し『夢』の事を好きになれるのかもしれない

 そしてそれが本当の『自分らしさ』に繋がっていけばいいな、と。
 足りない頭を回しながら、俺はそんな事を思った。